2017年夏 長野・群馬旅行記vol.1 [旅行(国内)]
はろ~ ぼんじょるの でしゅ
あつくなってきた でしゅねー
あつくなってきた でしゅねー
ご開帳の季節ですねー(ΦωΦ)ふふふ
モフりたいひと どーぞっ
(顔が切れてしまった...)
スコだけど、あまりの足の短さに「マンチカン疑惑」があるクーです( ̄w ̄)
みたまへ ミュウさまの美脚を
美脚っていうか、おいしそうなチキンレッグにしか見えないけどwww
(しかもお行儀悪い寝相ですこと)
ミニスカート も似合いそうなのミュっ
毛むくじゃらなのにー?ブ━━。:+((*′艸`))+:。━━ッ!!!!!
ミュウたんの場合、あんよよりおニャかがねぇwww
悪口は許さないミュっ
☆.。.:*・°♪.。.:*・°★.。.:*・°☆.。.:*・°♪.。.:*・°★.。.:*・°☆.。.:*
さて、そろそろ溜まりに溜まっている旅行記をUPしようかと思います^^
またまた古い旅行記ではありますが...(いつものことだけどw)
2017年6月に行った信州方面の旅行記をUPしたいと思います
正直もうよく覚えていないかもしれませんが((*´∀`))ヶラヶラ
名古屋まで新幹線で行き、そこから「特急しなの」で長野まで。
おおw 雪かぶった山が見えるーーと、車内からした一枚と思われますww
長野では、まず善光寺へお参りに行こうと思っていました。
牛に轢かれて 引かれて善光寺 って言いますもんね(*´艸`*)
と、その前に腹ごしらえを... やっぱ「そば」ですよね( ̄∀ ̄*)イヒッ
つゆ甘めが特徴な更科そばが有名だそうです。
関西はうどん文化なので、あまりお蕎麦を食べる機会がなかったのですが
最近お蕎麦もいいなぁと思い始めました(*´꒳`*)
「かどの大丸」さん。創業300年以上の手打ちそばの老舗です。
善光寺大本願の目の前にあります。
さて、善光寺へ...
善光寺は、無宗派の単立仏教寺院です。
日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の
別なく宿願が可能な霊場と位置付けれらています。
また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済があります。
本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来で、絶対秘仏です。
そのお姿は住職ですら目にすることが出来ないとされているそうです。
また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済があります。
本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来で、絶対秘仏です。
そのお姿は住職ですら目にすることが出来ないとされているそうです。
参道の石畳(敷石)は、7777枚あると言われているそうです。
でも現在は6千枚強だそうです^^
そしてこの石畳には悲しい伝説があるそうです。
『今から300年近くも昔のこと―――
江戸に大竹屋平兵衛という大きな石屋がありました。
一人息子がいましたが、酒と女におぼれ、家に寄り付かなかったそうです。
ある夜、平兵衛の家に盗賊が入りました。突き刺したところ、それは我が子だったのです。
店をたたんで巡礼の旅に出た平兵衛は、最後に善光寺へやってきました。
寺の近くの桜小路(現在の桜枝町)に住んで、毎日お参りをしていました。
ところが本堂は完成したばかりでしたが敷石はなく、参拝者が難儀をしています。
石屋だった平兵衛は敷石の寄進を思い立ちました。』
OMG。:゚(。ノω\。)゚・。
つつじがとってもキレイでした
◆仁王門
(私、どうも写真が右下がりになっちゃうみたい右でシャッター押すからかなぁ)
現在の仁王門は、当県山形村の永田兵太郎をはじめとする全国信徒の篤志
により、大正7年(1918年)に再建されました。
間口約13メートル、奥行き約7メートル、高さ約14メートル。
屋根は銅瓦葺です。
左側の仁王様『阿形』
右側の仁王様『吽形』
あ
うん
仁王像および背面の三宝荒神像・三面大黒天像は、近代彫刻の巨匠高村光雲と
米原雲海の合作です。『定額山』の額は伏見宮貞愛親王の御筆によるものです。
◆山門(重要文化財)
山門【さんもん】は、江戸時代中期の寛延三年(1750)に建立されて以来
大勢の参拝者を本堂に迎え入れてきた歴史ある門です。
様式は五間三戸二階二重門、屋根は入母屋(いりもや)造りの栩葺(とちぶき)
で、国の重要文化財に指定されています。
弘化四年(1847)の善光寺地震や、昭和四十年代の松代群発地震などの
影響で建物の基礎が損傷し、加えて全体の老朽化も進んだことから
平成十四年(2002)10月から平成十九年(2007)12月までの約5年間
山門としては初の大規模な修復工事となる平成大修理を実施しました。
◆鳩字の額 ちょっと小さくて見えにくいと思いますが^^
楼上には輪王寺宮(りんのうじのみや)公澄法親王(こうちょうほっしんのう)筆の
「善光寺」と書かれた額が掲げられています。大きさは約三畳分。
これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、三文字の中に鳩の姿が五羽
隠されています。更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われています。
現在山門に架けられている額は平成大修理の際に作られた二代目であり
先代の額は現在史料館で見ることができます
◆ぬれ仏(延命地蔵)
山門の南東にある大きな地蔵は、ぬれ仏または延命地蔵(えんめいじぞう)
と呼ばれます。享保七年(1722)に善光寺聖・法誉円信(ほうよえんしん)
が、全国から喜捨を集めて造立しました。
江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという
言い伝えがあるため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれ火伏せの
意味合いから通称「ぬれ仏」と呼ばれています。
◆本堂
善光寺は創建以来十数度もの大火に遭いましたが、そのたびに善光寺を
慕う全国の信徒らによって復興されてきました。
現在の本堂は宝永四年(1707)の再建で江戸時代中期を代表する仏教建築
として昭和二十八年(1953)に国宝に指定されています。
高さ約29m間口約24m奥行約54mという東日本最大級の国宝木造建築
で衆生の煩悩の数と言われる百八本の柱で造られています。
もちろん内部は撮影NGでございます^^
お戒壇巡りしました。まーーっくらで半泣きでした(T^T)
そういえば、お戒壇巡り入口にはタイ国仏舎利が安置されていました。
先代の額は現在史料館で見ることができます
◆ぬれ仏(延命地蔵)
山門の南東にある大きな地蔵は、ぬれ仏または延命地蔵(えんめいじぞう)
と呼ばれます。享保七年(1722)に善光寺聖・法誉円信(ほうよえんしん)
が、全国から喜捨を集めて造立しました。
江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという
言い伝えがあるため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれ火伏せの
意味合いから通称「ぬれ仏」と呼ばれています。
◆六地蔵
ぬれ仏の南側に並ぶ六地蔵は、宝暦九年(1759)に浅草天王町祐昌が
願主となって造立されましたが、昭和十九年(1944)に軍需物資のため
の金属供出に出されました。現在の六地蔵は昭和二十九年(1954)に
再興されたものです。六地蔵とは、私たちが輪廻転生するといわれる
ぬれ仏の南側に並ぶ六地蔵は、宝暦九年(1759)に浅草天王町祐昌が
願主となって造立されましたが、昭和十九年(1944)に軍需物資のため
の金属供出に出されました。現在の六地蔵は昭和二十九年(1954)に
再興されたものです。六地蔵とは、私たちが輪廻転生するといわれる
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界で、我々衆生を救って
くださる菩薩様です。
◆本堂
善光寺は創建以来十数度もの大火に遭いましたが、そのたびに善光寺を
慕う全国の信徒らによって復興されてきました。
現在の本堂は宝永四年(1707)の再建で江戸時代中期を代表する仏教建築
として昭和二十八年(1953)に国宝に指定されています。
高さ約29m間口約24m奥行約54mという東日本最大級の国宝木造建築
で衆生の煩悩の数と言われる百八本の柱で造られています。
もちろん内部は撮影NGでございます^^
お戒壇巡りしました。まーーっくらで半泣きでした(T^T)
そういえば、お戒壇巡り入口にはタイ国仏舎利が安置されていました。
昭和十二年(1937)に”日タイ修好50周年”を記念しタイ国王より贈られた
仏舎利【ぶっしゃり】(お釈迦様の御遺骨)と約700年前のスコータイ王朝
時代作の釈迦如来像が安置されています。
納められている仏塔には「牛にひかれて善光寺参り」の話の一節を表す
光景が彫り込まれています。
本堂にかけられる幕や境内各所で見られる「葵」の紋は、善光寺を開かれた
御開山本田家の家紋「立葵(たちあおい)」であり、善光寺の寺紋です。
◆大香炉
本堂手前にある大香炉(だいこうろ)は戦時中に金属供出に出されました
が、昭和三十一年(1956)に富山県高岡市で作られ奉納されました。
本堂に入る前に線香を供え、その煙で心身を清浄にし、体につければ
無病息災、病気平癒の功徳が得られると言われます。
御開帳時には、この香炉の手前に高さ約10mの回向柱が立てられます。
煙いぜーってお顔に見えました( ̄┰ ̄*)ゞ
こちらも香炉でしょうか^^ 自信ないです
奥に見える建物が『経蔵(きょうぞう)』重要文化財です。
宝暦九年(1759)に建立された五間四方宝形【ほうぎょう】造りのお堂で
納められている仏塔には「牛にひかれて善光寺参り」の話の一節を表す
光景が彫り込まれています。
本堂にかけられる幕や境内各所で見られる「葵」の紋は、善光寺を開かれた
御開山本田家の家紋「立葵(たちあおい)」であり、善光寺の寺紋です。
◆大香炉
本堂手前にある大香炉(だいこうろ)は戦時中に金属供出に出されました
が、昭和三十一年(1956)に富山県高岡市で作られ奉納されました。
本堂に入る前に線香を供え、その煙で心身を清浄にし、体につければ
無病息災、病気平癒の功徳が得られると言われます。
御開帳時には、この香炉の手前に高さ約10mの回向柱が立てられます。
煙いぜーってお顔に見えました( ̄┰ ̄*)ゞ
こちらも香炉でしょうか^^ 自信ないです
奥に見える建物が『経蔵(きょうぞう)』重要文化財です。
宝暦九年(1759)に建立された五間四方宝形【ほうぎょう】造りのお堂で
昭和四十九年(1974)に江戸時代を代表する経蔵建築として重要文化財に
指定されています。
緑が美しくて癒される空間でした(*´ω`*)
◆日本忠霊殿(にほんちゅうれいでん)
戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまで、戦没者二百四十万余柱の英霊
を祀る我が国唯一の仏式による霊廟です。
御本尊は一光三尊阿弥陀如来の分身仏です。
参道と長野市内が見渡せます。
こちらは御本堂かな^^
暑かったので、コーヒーゼリーでクールダウンしました(*´꒳`*)
この記事を書くのに、善光寺について調べていたら、なんと今年2022年は
七年に一度の盛儀『善光寺前立本尊御開帳』があるそうです。
七年に一度、絶対秘仏である御本尊様のお身代わりとしてまったく同じ
お姿の“前立本尊”様を本堂にお遷しして全国の人々にお参りいただく
指定されています。
緑が美しくて癒される空間でした(*´ω`*)
◆日本忠霊殿(にほんちゅうれいでん)
戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまで、戦没者二百四十万余柱の英霊
を祀る我が国唯一の仏式による霊廟です。
御本尊は一光三尊阿弥陀如来の分身仏です。
参道と長野市内が見渡せます。
こちらは御本堂かな^^
暑かったので、コーヒーゼリーでクールダウンしました(*´꒳`*)
この記事を書くのに、善光寺について調べていたら、なんと今年2022年は
七年に一度の盛儀『善光寺前立本尊御開帳』があるそうです。
七年に一度、絶対秘仏である御本尊様のお身代わりとしてまったく同じ
お姿の“前立本尊”様を本堂にお遷しして全国の人々にお参りいただく
盛儀です。
4/3(日)~6/29(水)まで。 通常より1ヶ月期間が延長されています。
冒頭にクーのご開帳を載せましたが、関連性はごさいません(:.´艸`:.)ぶっ
to be continued...(たぶん長くなりますよーーーww)
4/3(日)~6/29(水)まで。 通常より1ヶ月期間が延長されています。
冒頭にクーのご開帳を載せましたが、関連性はごさいません(:.´艸`:.)ぶっ
to be continued...(たぶん長くなりますよーーーww)