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2016秋 伊豆・箱根旅行記Vol.8 [旅行(国内)]

はろ~[かわいい] ぼんじゅ~ なのミュっ[るんるん][ぴかぴか(新しい)]



またまたUPの間隔が開いてしまいました( ̄┰ ̄*)ゞ

あっという間に10月も半ばを過ぎてしまいましたね[あせあせ(飛び散る汗)]

最近気温の上下が激しくて、体調管理が大変です[たらーっ(汗)][たらーっ(汗)]

±10℃とか勘弁してほしいですー(@ε@)ブゥ




今日のミュウたん...何やら発見したようで(((*≧艸≦)ププッ

今日のハッスルさん.jpg
誰かのお土産(誰かって...)と思われるシープスキンの巾着です。





今日のハッスルさん1.jpg
おおーw 食いつきましたーー( ̄w ̄)





今日のハッスルさん2.jpg
おちりをプリプリさせながら大はしゃぎです。゚(゚ノ∀`゚)゚。アヒャヒャ






今日のハッスルさん3.jpg
何が興奮させるのかしら、匂い??






今日のハッスルさん4.jpg
すんごいお顔で大ハッスルですwww





♡.。.:*・°♡.。.:*・°♡.。.:*・°♡.。.:*・°♡。.:*・°♡.。.:*・°♡。.:*


さてさて、伊豆・箱根旅行の続きです。

ここ、どこかお分かりになりますか??










幟にチラッとヒントが...|ω・`)チラッ







平成の大改修を終えた『小田原城』でございます( ̄ー ̄ゞ-☆







ここは馬出門です。

平成21年3月に復興されました。







右奥に見える建物は、二の丸観光案内所です。







銅門(あかがねもん)です。

平成9年10月に完成しました。












小田原城本丸の正門である常盤木門です。

ちょっと古びているなと思ったら、昭和46年3月に復興したものだそうです。














ここでは武将のコスプレをして写真を撮ってもらえるようです(笑)

後ろの木が立派ですねー。樹齢何年だろう^^







とっても立派でキレイなお城ですね[ぴかぴか(新しい)]


小田原城の前身は、室町時代に西相模地方を支配していた大森氏が築いた山城

でした。その後北条早雲が小田原に進出し、以後5代約100年にわたって関東で

支配を拡大していきました。しかし1590年に石垣山一夜城の築城をはじめとする

秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。

その後、家康の命令で小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、近代城郭の

姿に改修されました。大久保氏が改易となった後、春日局の息子、稲葉正勝が

入城の際に再整備され、城の姿が一新されました。

再び大久保氏が城主となった小田原城は、東海道で箱根の関所を控えた関東地方

の防御の要として幕末に至りましたが、明治3年に廃城となり、多くの建物が

解体されました。

その後小田原市政20周年記念事業で天守閣の復興が計画され、昭和35年に完成。

その後小田原市は城の中心部を江戸末期の姿に復元することを計画し、常盤木門

はじめ、住吉橋、銅門、馬出門が復元されています。

2006年には日本の100名城(23番)に選定されました。


そういえば、天守閣には必ずシャチホコが飾られているのですねw

あの印鑑メーカー『シャチハタ』の社名の由来にもなっているそうです。

火除けの守神として重要な建物に飾るようになったのですね。





おおーw わが大阪城(うちの家じゃないけど)が一番大きいのですね(≧∇≦)


大人になってから大阪城に行った(というか入った)ことがないですね^^

子供の頃遠足で行って、エレベーターがついていたことにビックリした思い出

があります。秀吉も使っていたのーー?なーんて^^(んなわけない[たらーっ(汗)])

チャンスがあったら今度行ってみよう( ̄∀ ̄*)イヒッ



小田原城は第7位です。






けっこう広いですねー。






関東の重要拠点ですもんね^^ 立派です。







これは...徳川の三つ葉葵ですね。

小田原城からは三つ葉葵が入った瓦がたくさん出土しているそうです。

普通は城主の家紋を使うはずなのに...使わせてもらえなかったのかな^^





お道具類も立派ですね。







これには、城主であった大久保氏の『大久保藤』が使われていますね。







これは桐紋ですが、秀吉の??








◆鉄兜

実戦で使われたのでしょうか...







◆甲冑

重そう(・∀・;)







◆本小札黄櫨糸威二枚胴具足(ほんこざねはじいとおどしにまいどうぐそく)


寛永9年(1632)に、美濃加納(岐阜市)で大久保家に仕官して藩士となった

竹内藤左衛門正明が所持したとの伝来を持つものです。

小札(短冊型の小板)を横に重ね、漆で塗り固めて板状にする本小札の技法が

使われており、黄櫨色の糸で隙間なく縦に板を繋いでいます(毛引威)。







◆錆地塗縫延紺糸素懸威二枚胴具足(さびじぬりぬいこんいとすがけおどしにまいぐそく)


読めないし覚えられないww




◆銘(めい)「相州住康春(そうしゅうじゅうやすはる)作」


長さ77.9cm 反り2.7cm

刀身が長く反りの太刀姿の刀です。保存状態もよく、康春が手掛けた中でも

優れた作品です。この刀は「新編相模国風土記稿」にも伝承の由来が記載

されており、歴史的にも大変貴重な資料です。





天守閣からのながめ[目]



























◆摩利支天と天守七尊


摩利支天は日本では武士の間であつく信仰されてきました。

小田原城天守のものは三面六臂(3つの顔と6つの腕)で、イノシシに乗る姿で

表されています。作られた時代は分かりませんが、天守の形をした厨子に

納められています。江戸時代の天守には、摩利支天を含む天守七尊と呼ばれる

仏像が安置されていました。現在残るのは、阿弥陀如来、如意輪観音、大日如来

弁才天、地蔵菩薩、薬師如来で、明治3年(1870)の廃城時に持ち出され

現在は永久寺(小田原市城山)に安置されています。














◆二宮尊徳(金次郎)像


昔はどの小学校にもあったそうですね。

今だと、本読みながら道を歩いていると車にはねられますもんね[たらーっ(汗)]












◆報徳二宮神社

小田原城の一角にあります。

ご祭神は、報徳社を設立し農村の救済活動を行なっていた二宮尊徳翁。

天保の大飢饉の際には、尊徳により米蔵が開かれたことにより、小田原藩では

一人も餓死者を出さなかったそうです。











さて、小田原城をあとにし、ランチに出かけました[車(セダン)]

めちゃくちゃ目立つ看板[exclamation×2] に惹かれてここにしました(笑)


どれにしようかなーっ(ΦωΦ)ふふふ







ちょっとブレブレ[たらーっ(汗)]

カトリーヌチョイスは、左のシャケといくらの親子丼[るんるん]

おいしかったです(*^-゚)v





続きは次回でーす[手(パー)]



ミュウたんのお誕生日が近づいてまいりました(*´艸`*)

あと4週間ぐらいですね[かわいい]

2週間ほど前、ちょっと調子を悪くし、病院へ行きました。

うんと悪いわけじゃないけど、ちょっと様子がおかしかったので

めちゃくちゃ焦ってしまいました。またこの時期??って...

膀胱炎だったらしく、ご飯に混ぜるタイプのお薬をいただいて

順調に回復して、今はすっかりよくなっています(*´∇`*)

人間でも繰り返すというので、気をつけて見ていてあげなくちゃ

と思っています。どうも秋口は鬼門です(((;´•ω•`;)))

年齢も年齢なので、漠然とした不安がいつもありますが

出来るだけ長生きしてもらいたいと思っています。



遊び疲れ.jpg
遊び疲れて寝てしまったミュウたんww

いつまでも元気でいてね+.(人´Д`*).+゜.





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